月曜日の友達とamazarashi 歌詞を絡めてその①

こんばんは、フジカワ(@kyomugasonzai)です。

阿部共実さんの漫画をもっと見たいと思い、次はなにを読もうかなと検索していたら、この「月曜日の友達」を見つけた。

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表紙を見たときに思った。

あれ?既視感のあるキャラクターだな。

それもそのはず、僕の好きなミュージシャンのamazarashiとコラボしていた漫画だったのだから。



調べてみると阿部さんはamazarashiのファンだそうで、amazarashiのボーカル秋田ひろむさんも阿部さんの作品を読んでおり、その縁で楽曲を提供するに至ったそう。


そして、今まで作った曲の中からこのマンガに合うものを選ぶのではなく、このマンガのために作られた曲がこの「月曜日」だった。


歌詞は頭にこびりつくくらいには聞いていたので、物語の要所要所で歌詞がふっと浮かんで寄り添ってくる感覚があった。


今回は僕が印象に残っているシーンにamazarashiの歌詞を絡めた独自の解釈になる。


曲を聞いて、このマンガを読み返して、としていると「ここは、もしかしてこうなんじゃないか?」と考えが二転、三転しているので、とりあえず僕の中で落ち着いた部分から少しずつ書いていくことにする。

なのでその②、その③と続く可能性大。

このマンガを「読んでみてください!」とは思うが、これは推薦文ではない。

登場人物がどんな人間で、どんな場所で、どんなことが起こるのか。

それも書いた方が良いのだろうが、今の僕にはそんな余裕は無い。

このマンガを読むことによって込み上げてきたものを書き記したくてしかたがないのだ。

なんとワガママなことだろうと思う。


ただ、このマンガを読むことによって、楽曲を聞くことによって輝いて見える。

そんなものにしたいと思いながら、書いていきます。



「儚いから奇麗」とか言った、花火が永遠ならよかった

この歌詞を見て浮かんだのは、二人の主人公、水谷と月野が浜辺で花火をしているシーンだ。

手持ち花火を頭上にかざし、降りそそぐ光の中から月野を見つめる水谷、それを楽しそうに見ている月野。

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この花火が終われば、二人はしばらく会えなくなる。

僕はそこにamazarashiのこの歌詞を単純に結び付けた。

この花火が終わらなければいいのに、永遠ならばいいのにと。

だけど、僕はこのシーンにたどり着くまでに一度「花火」を見ているような気がした。

正確には「花火」そのものは見ていないが「花火のようだな」と思わされた言葉があったことを思い出した。

それは、月野の目に対して水谷が抱いた感情だ。

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「灰色の校舎、紺の制服、黒い頭ばかりのこのモノクロームの世界に、たったひとつ月野の瞳だけが炎のように激しく光をまき散らし、色を灯している」

月野の瞳の中に、水谷は花火のように激しく美しい炎、光を見ていた。

月野の瞳を、まっすぐに見つめる水谷。

この漆黒の浜辺で、水谷が永遠に見つめていたいのは、月野の瞳の中の光なのかなと思った。

それ故の「花火が永遠ならよかった」

そう自分の中で解釈したことによってその一つ前の歌詞。

「儚いから奇麗」とか言った

この歌詞から、どこか不穏な空気を感じてしまった。


この辺りについてはまだ自分の中でまとまりきっていないので、また今度。