阿部共実さん著「ちーちゃんはちょっと足りない」ナツは僕達の抱える「弱さと怖れ」の名前だ。
どうも、フジカワ(@kyomugasonzai)です。
阿部共実さん著「ちーちゃんはちょっと足りない」を読んだ。
色んな感情が溢れてきているので書きたいと思ったのですが、
これからここに書いていくものを、なんと言えばいいのだろうか?
「レビュー」とも「感想」とも違うような・・・・・・
今僕の中に溢れている「感情の吐露」とでも言えばいいのか?
ええい、めんどうくさい。
とにかく書いていきます。
優しい世界で、どんどん沈んでいく「ナツ」
この作品の中で、登場人物のナツを傷つける人間、追い詰める人間は一人もいない。
それにナツ自身、誰も傷つけないし、誰を追い詰めることもしない。
だが、ナツは誰よりも傷ついていく。
誰よりも追い詰められていく。
深く深く沈んでいく。
他でもない「自分」の手によって。
ナツに覚える、苛立ちと不快感。
本書を読み終えた後、僕はナツに苛立ちと不快感をおぼえた。
そうなった読者は僕以外にも多くいるだろう。
だけど僕はナツを非難することができなかった。
なぜなら、ナツと似たような物の見方、思考回路になっていた時期が僕にもあったからだ。
僕は学生の時に、人気者達の輪の中に食い込もうとしていた。
理由は「この人達と友達なんだよ!」とステータスとして自慢できると思っていたからだ。
正直、話は合わないし、居心地は悪いし、自分の思っていることは言えないしで全く楽しくなかった。
思っていることを言えない空気があった訳ではない。きっと受け入れてもらえただろう。
だけど「自分が言うことなんて、笑われてしまうんだろうな」
当時は勝手にそう思い込み、ひたすらに自分を押し殺して、自分からは発信せず、よく分からない話題でも、この人達の話していることなんだからきっと面白いことなんだ。
と、無理やり笑っていた。
その時は、以前から仲良くしてくれていた友達とは距離を置いていた。
しかし、関係を断ち切ったという訳ではなく、人気者達の輪の中で過ごすのに疲れてきたら戻るという、
いわゆる「保険として友達をキープしておく」という最低のことをしていた。
それでも何も言わずに受け入れてくれる友達に感謝はしていた。
だけど僕は、その人達のことをどこか自分よりも下に見ていて、人気者たちの輪の中で自分が発することのできなかった言葉を、その人達にだけ得意気に語った。
人気者達の言葉や立ち振る舞いを借りて「やっぱこうじゃなきゃダメだよね」
なんてことも言っていた。
人の言葉を借りて喋り、周囲の空気ばかりに気をくばり、その意見にひたすら同調して過ごすという学生生活。
結果。
僕は自分の言葉を失ってしまった。
僕は何者でもなくなってしまった。
どれだけ考えても、自分のやりたいことが思い浮かばなかった。
自分の生まれた、育った「環境」を呪う。
「いいな、あの人には夢があって、目標があって」
「それにくらべて僕には夢なんてない、なんてつまらない奴なんだろう?」
「なんで僕はこんな人間になってしまったんだろう?なにが原因だったんだろう?」
進路を決めなければならない時期に、僕の頭の中はこんなことで一杯だった。
そこで、僕が導き出した答えがこれだった。
「こんな離島の、電車も走っていないド田舎に暮らしているからいけないんだ」
「こんな退屈でつまらない場所にいるからいけないんだ」
そう考えた僕は、島から出たいと思った。
「島から出れば、こんなところじゃなくて都会で生活すれば全てが変わる、夢も見つかる」
本気でそんな風に思っていた。
でも、そんなことはなかった。
そんなことが、あり得る訳がなかった。
自分のいる場所をつまらないものと決めつけて、いい所を探したり、おもしろいことがないかと模索できない人間が、どこへ行っても同じことだった。
自己嫌悪の世界に浸るのは「気持ちいい」
物語の終盤、ナツの自己否定、自己嫌悪が始まる。
僕はこの辺りからページをめくるのが怖くなってしまった。
新品の本のはずなのに、ページとページがどろどろとした何かでぴったりとくっついているようだった。
本音で一度もぶつかったことがないのに、自分一人の世界の中でその人がどういう人間なのかを勝手に想像して、その人が自分をどう思っているかも勝手に決めつける。
それに自分を卑下する言葉をつけ加えて、ずぶずぶと沈んでいく。
読んでいくうちに呼吸は浅くなり、周囲がどんどん暗くなっていくように感じた。
みぞおちの辺りに、じんわりと冷たいものが広がっていく感覚。
自分だけの閉じられた世界で、ありもしない人の心を自分で作って、それに自分を否定させたり、否定したり。
自分以外の感情は全て虚構。そんな意味のない世界で思考を延々と巡らせることに意味はない。
意味はないと分かっているのに抜け出せなくなる。その世界はそれぐらい強い引力と中毒性を持っている。
次第にその世界に自分を沈み込ませるのが「気持ちいい」と感じるようになって、帰れなくなってしまう。
僕がそうだった。
ナツは僕たちの中にいる。あるいはこれから生まれてくる可能性のある「存在」だと思う。
この漫画を読み終えた後に抱いたもやもや、憂鬱感、不快感、苛立ち。
それは、ナツのその後の人生を考えたからではない。
ナツに、かつての自分を見てしまったからだ。
「あなたも、そうだったでしょう?」
頭の中で、そんな言葉が聞こえたような気がした。
でも、それはかつての話だ。
今の僕の中には「ナツ」はいない。
しかし、今まさに「ナツ」が心の中に住んでいる人はいるかもしれない。
今はいなくても、これから「ナツ」が心の中に生まれるかもしれない。
この世界に生きる全ての人間にその可能性がある。
この漫画の世界の、ナツ以外の登場人物にも可能性がある。
もし、あなたの中に「ナツ」が生まれてしまったら、
誰かの元へ連れて行ってほしいと思う。
日陰から日なたへ連れ出してあげて欲しい。
この物語の中の「ナツ」の今後の人生は、僕たちの中にあると思う。
「ナツ」は、僕たちの抱える「弱さと怖れ」の名前だ。